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【地図で解説】東京の新宿区と豊島区の境界はどこ|高田馬場の面白い区境3選

新宿区と豊島区の境界線がなぜこんなに複雑なのか、不思議に思ったことはありませんか。

その理由は、実は江戸時代の村境や神田川といった自然の地形が元になっているからです。

この記事では、高田馬場駅や学習院大学など、歩いて確かめたくなる面白い区境スポットを地図で解説します。

さらに、Googleマップで境界線を確認しながら散歩を楽しむ方法まで、わかりやすく説明しています。

この記事を読むとわかること

目次

新宿区と豊島区の境界線、その成り立ちと歴史

現在の新宿区と豊島区を分ける境界線は、一見すると不規則に見えますが、その成り立ちには深い歴史が関係しています。

特に重要なのは、その境界線の多くが、江戸時代の村境や自然の地形を基礎としている点です。

この歴史的な背景を知ることで、なぜ高田馬場や目白周辺の区境が複雑に入り組んでいるのかが理解できます。

江戸時代の村境が現在の区境の基礎

現代の行政区画である区境は、かつて存在した村々の境界線、つまり村境(むらざかい)を元に決められている場合が多いです。

新宿区と豊島区の境界線も例外ではなく、その大部分は江戸時代に定められた武蔵国豊島郡の村境を引き継いでいます。

当時は農地や小道が境界となっており、それが現在の複雑な住宅地の区境として残っているのです。

私たちが今見ている区境は、数百年前の人々の生活圏のなごりといえるでしょう。

境界線としての神田川の役割

川は古くから自然の境界として、土地や文化を分ける役割を担ってきました。

高田馬場や目白のエリアでは、神田川が新宿区と豊島区を分ける明確な境界線となっています。

特に面影橋周辺では、川そのものが区境であり、橋を渡ることで区を越える体験ができます。

川の流れに沿って引かれた境界線は、地図上でもわかりやすく、街歩きの中で歴史を感じられるポイントの一つです。

旧高田村と旧下落合村の境目

新宿区と豊島区の境界線を理解する上で鍵となるのが、江戸時代の「高田村(たかたむら)」と「下落合村(しもおちあいむら)」という二つの村の存在です。

現在の地名でいうと、豊島区高田や雑司が谷の一部が旧高田村、新宿区下落合や高田馬場の一部が旧下落合村にあたります。

この二つの村の境目が、ほぼそのまま現在の新宿区と豊島区の境界線になっているのです。

高田馬場駅周辺の住所が複雑に入り組んでいる理由も、この歴史的な村境に起因しています。

行政区画の変遷と現在の境界線

江戸時代から明治時代にかけて、行政区画は何度も見直されてきました。

1889年(明治22年)の町村制施行により、高田村は高田町に、下落合村は落合村になりました。

その後、1932年(昭和7年)に東京市に編入される際に、高田町は豊島区へ、落合町(旧落合村)は淀橋区(後の新宿区)へと編入されたのです。

この市制編入時の区割りが、現在の新宿区と豊島区の境界線の直接的なルーツとなります。

このように、村から町へ、そして区へと変わる長い歴史の中で、元々の村境が大切に引き継がれ、現在の複雑な境界線が形作られました。

高田馬場・目白周辺、地図で見る面白い区境3選

新宿区と豊島区の境界線は、私たちが普段利用する駅や見慣れた川、大学の敷地内など、意外な場所を通っています。

特に面白いのは、道路や建物をまたいで引かれている境界線で、地図を片手に歩くとまるで冒険しているような気分を味わえます。

ここでは、散策が楽しくなる3つのスポットを紹介します。

これらの場所は、なぜそのような境界になったのかという歴史的な背景も持っています。

いつもの街並みが、区境を知ることで少し違った風景に見えてきます。

高田馬場駅前、駅舎とBIGBOXで異なる住所

多くの人が利用するJR高田馬場駅の住所は「新宿区高田馬場1丁目」です。

しかし、駅の早稲田口を出てすぐ目の前にある商業施設「BIGBOX高田馬場」の住所は「豊島区高田3丁目」となります。

駅前のロータリーを横切るだけで、区をまたぐことになるのです。

この境界線は、かつての村境の名残とされています。

地図アプリで境界線を表示させながら歩くと、足元で新宿区と豊島区を行き来する不思議な体験ができます。

面影橋付近、神田川そのものが区境の場所

都電荒川線(東京さくらトラム)が走る面影橋の周辺では、神田川そのものが区境となっています。

川の流れを境にして、南側が新宿区西早稲田、北側が豊島区高田に分かれます。

新目白通りにかかる面影橋の上から、川の両岸を眺めることができます。

こちら側と向こう側で区が違うと思うと、感慨深いものがあります。

川沿いの遊歩道を散策しながら、昔から続く自然の境界線を肌で感じてみるのもおすすめです。

学習院大学、キャンパス内を横切る不思議な境界線

目白に広大な敷地を持つ学習院大学のキャンパスは、その大部分が「豊島区目白1丁目」にあります。

ところが、敷地の南西の一部は「新宿区高田3丁目」にまたがっているのです。

一つの大学の敷地内に区の境界線が通っているのは、都内でも珍しい事例です。

地図の航空写真で見ると、緑豊かな敷地を一本の線が横切っている様子がよくわかります。

もしかしたら、講義を受ける校舎によって住所が違うということもあるのかもしれません。

区境を歩く、境界線の見つけ方と楽しみ方

新宿区と豊島区の複雑な境界線は、特別な道具がなくても見つけられます。

普段使っているスマートフォンの地図アプリを活用するだけで、誰でも簡単に区境ハンターになれるのです。

ここでは、境界線を見つけるための具体的な方法から、実際に歩いて楽しむための散策ルートまで紹介します。

これらの方法を知れば、いつもの街歩きが歴史と地理の謎解きに変わります。

Googleマップで境界線を表示させる設定

Googleマップは、区境を地図 確認するための最も手軽なツールです。

いくつかの簡単な設定で、地図上に市区町村の境界線(行政界線)を表示させられます。

特に「レイヤ」機能を活用すると、航空写真と境界線を重ねて表示でき、実際の風景と照らし合わせながら境界を特定することが可能です。

この機能を使いこなせば、たったの数秒で今いる場所が新宿区なのか豊島区なのかを一目で把握できます。

境界線が表示された地図を片手に街を歩けば、道路のこちら側とあちら側で区が違う、といった面白い発見が次々と見つかります。

この設定を覚えておくだけで、散策中に気になった場所の区境をすぐに調べられるようになります。

住所から区境を特定する簡単な方法

地図アプリがない状況でも、境目 確認方法はあります。

それは、建物や電柱に書かれている住所表示に注目することです。

通りの両側で市区町村名や番地が違う場所を見つければ、そこが区境である可能性が高いといえます。

例えば、高田馬場駅の早稲田口周辺では、駅舎側は「新宿区高田馬場」ですが、横断歩道を渡ったBIGBOX高田馬場は「豊島区高田」になります。

このように番地 違うだけでなく、区の名前自体が変わる瞬間は、境界線を体感できる絶好の機会です。

注意深く観察すると、お店の看板やマンションの表示など、街の至る所にヒントが隠されています。

街中の住所表示を意識して見るだけで、地図上ではわかりにくい細かな境界線を発見できるでしょう。

区境散歩のおすすめ散策ルート

知識を得たら、次は実際に区境 散歩に出かけましょう。

高田馬場駅をスタート地点として、新宿区と豊島区の複雑面白い境界線を体感できるおすすめのルートを紹介します。

このコースは、歴史的な背景を持つ場所を巡りながら、区境がどのように形成されたのかを肌で感じられるように構成しました。

このルートを歩くことで、約1時間ほどで主要な境界スポットを効率よく巡ることが可能です。

途中、神田川沿いの景色を楽しんだり、カフェで休憩したりしながら、自分だけのペースで散策を楽しんでください。

実際に自分の足で境界線をまたぐ体験は、地図を眺めるだけでは味わえない特別な感動を与えてくれます。

境界線上に建つ珍しい建物の探し方

区境散歩のさらに進んだ楽しみ方が、境界線上の建物探しです。

これは、一つの建物が複数の行政区にまたがって建てられている、非常に珍しい物件を見つけ出すことです。

Googleマップの航空写真とストリートビューを駆使すると、こうした建物を効率的に探せます。

探し方のコツは、まず地図上で境界線が建物を貫通している場所を見つけることです。

次に、ストリートビューでその建物の外観や住所表示を確認します。

住民税や固定資産税はどうなるのか、ごみ収集はどちらの区が来るのか、などと想像を膨らませながら探すと、まるで探偵のような気分を味わえるでしょう。

この方法で自分だけの珍スポットを発見した時の喜びは格別です。

ぜひ、あなただけの「境界線上の建物」を見つけてみてください。

まとめ

この記事では、新宿区と豊島区の複雑な境界線が生まれた謎を、地図や歴史的背景をもとに解説しました。

一見すると不思議な境界線も、その多くが江戸時代の村境や自然の地形に由来することを知ると、いつもの街並みが違って見えてきます。

この記事で紹介した散策ルートを参考に、ぜひスマートフォンの地図を片手に、歴史を感じる区境歩きを楽しんでください。

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