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お台場第六台場跡の歴史と魅力|立ち入り禁止の謎に迫る大人の散歩ガイド

お台場の海にひっそりと浮かぶ緑の島、第六台場。

なぜこの場所だけが人の立ち入りを拒み続けているのか、その謎にこそ、幕末から続く歴史の重みが秘められています。

この記事では、国指定史跡でありながら手つかずの自然が残る第六台場の歴史と魅力に迫ります。

レインボーブリッジの遊歩道を歩き、約170年前に築かれた海上要塞を間近に感じる大人の散歩へご案内します。

ありきたりな観光では満たされない、知的好奇心を刺激する体験を求めていませんか。この散歩コースは、幕末という時代の転換点に思いを馳せ、心からリフレッシュできる特別な時間を提供します。

目次

立ち入り禁止の謎-手付かずの自然と歴史が息づく第六台場の魅力

お台場の海に浮かぶ緑の島、第六台場がなぜ立ち入り禁止なのか、その理由は史跡と自然という二つの側面を保護するためです。

人の手が加えられなかったからこそ保たれた約170年前の姿は、他のどの史跡にもない特別な価値を持っています。

立ち入りができないという事実が、第六台場の歴史的な価値と神秘性を一層際立たせているのです。

史跡と自然環境保護を目的とした立ち入り禁止措置

第六台場への立ち入りが禁止されているのは、国指定史跡としての価値と、野鳥の営巣地となっている貴重な自然環境を保護するためです。

1926年(大正15年)に国の史跡に指定されて以来、人の介入を厳しく制限することで、築造当時の遺構を後世に伝えるという重要な役割を担っています。

この厳格な保護方針こそが、第六台場を特別な存在にしている理由です。

「鳥の楽園」とも呼ばれる手付かずの自然環境

人の出入りがない第六台場は、都会の中心部にありながら豊かな生態系が育まれる「鳥の楽園」となっています。

築造から約170年の歳月を経て、島全体が深い樹木に覆われ、カワウやアオサギといった多くの野鳥たちの繁殖地や休息場所になりました。

歴史的な遺構であると同時に、東京湾における生物多様性を保つ上で欠かせない場所としての価値も持ち合わせています。

約170年前の姿を残す貴重な石垣の遺構

第六台場の最大の魅力は、幕末期の卓越した技術で築かれた石垣が、ほぼ完全な形で現存している点にあります。

ペリー来航という国難に際し、当時の最高の技術を用いて積まれた「落し積み」や、角を強固にする「算木積み」といった特徴的な組み方を間近に観察できます。

風雨に耐え抜いてきた石垣の姿は、江戸幕府が江戸の海を守ろうとした強い意志を今に伝えています。

レインボーブリッジから望む唯一無二の景観

立ち入り禁止の第六台場を最もよく観察できる場所が、レインボーブリッジの遊歩道です。

特に芝浦側からお台場側へ向かう南側の「サウスルート」からは、海上要塞であった往時の姿を彷彿とさせる角度で全体像を眺められます。

近代的な橋梁と幕末の史跡、そして背景の超高層ビル群が織りなす新旧の対比は、ここでしか見られない東京ならではの風景といえるでしょう。

口コミにみる保存状態への期待と課題

第六台場の現状については、訪れた人々から様々な意見が寄せられています。

手つかずで残されている点を高く評価する声と、樹木の繁茂による遺構の劣化を懸念する声の両方が存在するのが実情です。

こんにちは。

第六台場の方は、築後ほぼ放置されている割には石垣がしっかり残っているとも言えますが、これだけ木々が生い茂るとその根によって土の遺構はほぼ崩れてしまっていそうですね。「自然に戻る」という観点ではこれも1つの姿なんでしょうが、歴史的な遺跡を残すという観点に立った時に果たしてこれでいいのか、悩ましいところですね。

https://akiou.wordpress.com/2014/09/12/shinagawa_daiba/

kanageohis1964さん
いつもありがとうございます。品川台場については場所の問題もあり殆どが破壊されているので、放置とは言え150年間壊されずに残っているだけでもステキなことだと考えています。いずれ機が熟したら都による整備や見学会が出来るようになるかもと期待しましょう。

https://akiou.wordpress.com/2014/09/12/shinagawa_daiba/

これらの声は、歴史遺産をどう未来へ継承していくかという、私たちに与えられた重要な問いを投げかけています。

幕末の息吹を感じる-第六台場を味わう散歩モデルコース

ご紹介する散歩モデルコースは、歴史好きの知的好奇心を満たすための特別な道のりです。

JR田町駅をスタートし、レインボーブリッジを経由してお台場へ渡る、所要時間およそ2時間半のルートを巡ります。

この散策を通じて、幕末の緊迫した空気と、時代に翻弄された海上要塞の姿を体感しましょう。

JR田町駅を起点とするレインボーブリッジ遊歩道へのアクセス

散歩の始まりはJR田町駅の芝浦口(東口)からです。

駅を出て直進すると、やがてレインボーブリッジへと続く遊歩道の入口が見えてきます。

この遊歩道は、無料で利用できるにもかかわらず、東京湾と第六台場を一望できる絶好の展望スペースです。

エレベーターで7階まで上がると、目の前に広がる景色に期待が高まります。

海上からの観察に最適なサウスルートからの眺望

レインボーブリッジの遊歩道は、都心側を望むノースルートとお台場側を望むサウスルートに分かれています。

第六台場を間近で観察するためには、迷わずサウスルートを選びましょう

歩き始めるとすぐに、左手側に緑に覆われた第六台場の姿が現れます。

近代的な橋の上から、約170年前の史跡を眺めるという、不思議な時間旅行が体験できるのです。

観察の注目点-幕末の石垣「落し積み」と「算木積み」

第六台場を眺める際は、ぜひ海面近くの石垣に注目してください。

ここには、幕末期の築城技術である「落し積み」と「算木積み」が見られます。

落し積みとは石を垂直に落とすように積む技法で、算木積みは角の部分を長方形の石を交互に組んで強化する技法です。

これらの精巧な石組みが、約170年前から風雪に耐え、今もなお江戸幕府の技術力の高さを物語っています。

第三台場(台場公園)での砲台跡・弾薬庫跡の探索

レインボーブリッジを渡りきると、お台場海浜公園のすぐ隣に陸続きの第三台場、現在の台場公園があります。

ここは品川台場で唯一、内部に入ることができる貴重な場所です。

実際に砲台跡の上を歩き、弾薬庫跡をのぞき込めるため、当時の兵士たちがどのような視点で江戸の海を守っていたのかを追体験できます。

ここから対岸に第六台場を望むと、二つの台場の対比から往時の情景がより鮮明に浮かび上がります。

お台場海浜公園での散策と歴史パネルによる知識の整理

散策の締めくくりとして、お台場海浜公園を歩きましょう。

砂浜から眺めるレインボーブリッジと第六台場の風景は、絶好の写真撮影スポットです。

散策の記念に一枚収めてみてはいかがでしょうか。

公園内にあるマリンハウスには品川台場の歴史を紹介するパネルが展示されており、歩いてきた道のりを振り返りながら知識を整理するのに最適です。

比較でわかる品川台場-第三台場と第六台場の違い

同じ品川台場として国の史跡に指定されながら、第三台場と第六台場は全く異なる運命をたどりました。

両者の最大の違いは、人が足を踏み入れられるかどうかという点にあります。

一方は誰もが訪れることができる公園として、もう一方は海上に浮かぶ謎の島として、静かに時を刻んでいるのです。

この二つの台場を比べることで、品川台場の歴史的な価値と、現代における保存のあり方についてより深く理解できます。

公園として整備された第三台場の現状

現在、台場公園として多くの人々に親しまれている第三台場は、1928年(昭和3年)に公園として開園しました。

お台場海浜公園から陸続きのため誰でも自由に散策でき、約29,963平方メートルの広大な敷地内で、歴史の息吹を身近に感じられます。

週末には歴史ファンや家族連れが訪れ、江戸時代の面影を残す空間で思い思いの時間を過ごしています。

海上に浮かぶ要塞跡としての第六台場の姿

一方で第六台場は、東京湾にぽつりと浮かぶ手付かずの要塞跡として、今もなお静寂の中にあります。

第三台場と同じく1926年(大正15年)に国の史跡に指定されましたが、約170年間、一般の立ち入りが厳しく制限されてきました。

そのため、築造当時の姿を色濃く残す貴重な場所として、歴史的な価値を持ち続けているのです。

上陸可能な唯一の史跡-第三台場の見どころ

上陸できる唯一の品川台場である第三台場では、実際に歩いて遺構を巡れる点が最大の魅力です。

特に、かつて大砲が据え付けられていた5基の砲台跡は必見です。

当時の兵士たちがどのような思いで江戸の海を眺めていたのか、その視点を体感できます。

これらの遺構を一つひとつ見て回ることで、ペリー来航に揺れた幕末の緊迫した空気を感じ取ることができるでしょう。

樹木に覆われ謎に包まれた第六台場の内部

第六台場の内部は、うっそうとした樹木に覆われており、その詳細はほとんど知られていません

航空写真を見ると、島のほぼ全体が緑で覆い尽くされていることがわかります。

この手付かずの自然が野鳥の貴重な営巣地となり、「鳥の楽園」とも呼ばれています。

史跡保護と自然環境保全という二つの理由から立ち入りが禁止されているため、私たちは外からその神秘的な姿を想像することしかできないのです。

ペリー来航への備え-国指定史跡・品川台場の築造史

ペリー来航という未曾有の国難に対し、江戸幕府が総力を挙げて江戸湾防衛のために築いたのが品川台場です。

外国の脅威から江戸の町を守るために造られたこの海上要塞は、日本の近代化と防衛意識の変革を象徴する歴史的遺構といえます。

ここでは、品川台場がどのような経緯で築かれ、歴史の中でどう位置づけられてきたのかを詳しく見ていきます。

築造計画の背景にある1853年の黒船来航

品川台場を築く直接のきっかけとなったのは、1853年(嘉永6年)にマシュー・ペリーが率いたアメリカ艦隊、いわゆる黒船の来航です。

それまで日本人が見たことのない巨大な蒸気船がもたらした武力による開国の要求は、江戸幕府に大きな衝撃を与えました。

この出来事によって江戸湾の海防強化は、幕府にとって国家の存亡をかけた最優先課題となったのです。

この国家的危機に対応するため、幕府は江戸湾内に洋式の砲台群を建設する壮大な計画を急遽決定しました。

総指揮官であった西洋砲術家・江川太郎左衛門

この一大事業の総指揮官に任命されたのが、伊豆韮山代官であり、西洋砲術の第一人者であった江川太郎左衛門英龍(坦庵)です。

彼は早くから海防の重要性を説いていた人物でした。

ペリー来航以前から砲台の研究を重ねており、その深い知識と先見性が評価されました。

江川の指揮のもと、オランダの兵法書を参考にした最新の西洋技術を取り入れた砲台の設計が進められたのです。

彼の卓越したリーダーシップなくして、品川台場の迅速な築造は実現しなかったといえます。

総工費75万両を投じた江戸幕府の一大事業

品川台場の築造は、総工費75万両、現在の価値でおよそ700億円にも上る、江戸幕府の威信をかけた巨大プロジェクトでした。

1853年8月に工事が始まると、伊豆や房総から切り出された石材や土砂が次々と運び込まれ、最大で5,000人もの人々が動員されたといいます。

昼夜を問わない突貫工事で進められ、わずか1年あまりで主要な台場が完成しました。

財政が厳しい中でもこれほどの資源を投じた事実は、当時の幕府が感じていた脅威の大きさを物語っています。

実戦未使用のまま迎えた明治維新後の変遷

これほどの規模で築かれた品川台場ですが、一度も外国船に対して砲火を交えることなく、その役目を終えることになります。

明治維新を迎えると、台場の管轄は陸軍省に移りました。

時代の変化とともにその多くは不要とされ、東京港の整備や埋め立てのために次々と姿を消していったのです。

第四台場は工事が中止されたまま水没し、現在ではその痕跡を見ることはできません

そのような歴史の流れの中で、第三台場と第六台場だけが奇跡的に残りました。

続日本100名城としての文化的価値

歴史の波を乗り越えて残された第三台場と第六台場は、1926年(大正15年)に国の史跡に指定されます。

さらにその歴史的価値が再評価され、「続日本100名城」(121番)にも選定されました。

これは城郭だけでなく、幕末の防衛施設が日本の歴史においていかに重要であるかを示すものです。

現在、第六台場は史跡と手付かずの自然を後世に伝えるために立ち入りが禁止されていますが、品川台場は日本の近代化の幕開けを象徴する貴重な文化遺産なのです。

まとめ

この記事では、お台場の海に浮かぶ立ち入り禁止の島、第六台場の歴史と魅力を詳しく解説しています。

特に、約170年前に築かれた海上要塞が、なぜ今も手つかずのまま残されているのか、その理由と背景に深く迫ります。

この記事で紹介した散歩コースを参考に、ご自身の足で歴史の謎を解き明かしに出かけてみませんか。

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