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【370年の物語】浜離宮恩賜庭園の歴史|徳川将軍家の鷹狩り場から現代までの変遷を解説

浜離宮恩賜庭園の歴史は、単なる庭園の変遷ではありません。

江戸時代から現代に至る日本の大きな時代の転換点をそのまま映し出す、壮大な物語です。

この記事では、徳川将軍家の鷹狩り場が将軍家の別邸、皇室の離宮、そして都立公園へと姿を変えてきた約370年の歴史をたどります。

東京湾の海水を引き込む都内唯一の「潮入の池」の仕組みや、歴史的な見どころ、散策に役立つ基本情報まで詳しく解説します。

目次

徳川将軍家の鷹狩り場から都民の憩いの場への変遷

浜離宮恩賜庭園の最大の魅力は、その時代ごとに役割を変え、日本の歴史そのものを映し出してきた点です。

単に美しい庭園というだけでなく、徳川将軍家の威光、明治日本の国際外交、そして現代に生きる私たちの憩いの場という、いくつもの顔を持つことが、この場所を特別なものにしています。

この庭園を訪れることは、約370年という壮大な時間の流れを旅するような体験です。

一つ一つの風景の背景にある物語を知ることで、散策がより深く、意味のあるものになります。

東京湾の海水を引き込む唯一現存の「潮入の池」

「潮入の池」とは、海の水を引き入れ、潮の満ち引きによって池の水位が上下し、景観が変化するよう設計された池のことです。

浜離宮恩賜庭園の池は、都内に現存する唯一の潮入の池として知られています。

この仕組みにより、池にはボラやハゼ、セイゴといった海水魚が生息しており、水辺を覗き込むと海の生き物を見つけられるかもしれません。

水門の開閉によって水位を調節しており、満潮時には池が広々と見え、干潮時にはまた違った趣を感じられるなど、訪れる時間によって異なる表情を楽しめるのが大きな魅力です。

自然のダイナミズムを巧みに取り入れた、江戸時代の知恵と技術の高さを実感できます。

時代と共に役割を変え続けた歴史の縮図

浜離宮恩賜庭園の敷地は、もともと将軍家の鷹狩り場でした。

それが、江戸時代には徳川将軍家の別邸「浜御殿」となり、明治維新後には皇室の「浜離宮」、そして戦後は都立公園へと、その役割を大きく変えてきました

その歴史は1654年に甲府宰相・徳川綱重が下屋敷を建てたことに始まります。

その後、明治時代には海外の要人をもてなす迎賓館「延遼館」が建てられ、華やかな外交の舞台となりました。

関東大震災や東京大空襲で大きな被害を受けながらも復興を遂げ、1946年4月1日に都立公園として一般に公開されたのです。

まさに日本の歩みと共にその姿を変え続けた、生きた歴史博物館といえるでしょう。

歴代将軍や皇室に愛された江戸の庭園美

この庭園が持つ特別な雰囲気は、時の権力者たちが自身の美意識を注ぎ込み、大切に育んできたからこそ生まれるものです。

6代将軍・徳川家宣の時代に大規模な改修が行われ、11代将軍・徳川家斉の時代に現在の庭園の姿がほぼ完成しました。

明治時代には皇室の所有となり、1879年にはアメリカのグラント前大統領が滞在するなど、国際的な交流の場として新たな価値をまといます

将軍が植えたとされる「三百年の松」が今もなお雄大な枝を広げていることからも、この場所がいかに大切に守り継がれてきたかがわかります。

歴代の主たちの想いが幾重にも重なり、現在の美しい景観を形作っているのです。

浜離宮恩賜庭園370年の歴史をたどる道のり

浜離宮恩賜庭園の歴史は、日本の大きな時代の転換点をそのまま映し出しています。

徳川将軍家の鷹狩り場から始まり、将軍の別邸、皇室の離宮、そして都民の公園へと、約370年もの歳月をかけてその役割を変え続けてきました

その壮大な変遷をたどることで、庭園の風景は一層味わい深いものになります。

この庭園が歩んできた道のりは、まさに日本の近世から現代に至るまでの歴史そのものといえます。

江戸時代 甲府宰相・徳川綱重による造成と「浜御殿」の誕生

「浜御殿」とは、江戸時代に徳川将軍家が所有した別邸のことです。

もともとこの地は、一面のアシ原が広がる将軍家の鷹狩り場でした。

その歴史が大きく動き出したのは1654年、4代将軍・家綱の弟である甲府宰相・徳川綱重が海の一部を埋め立てて「甲府浜屋敷」と呼ばれる下屋敷を建てたことが始まりです。

その後、綱重の子である家宣が6代将軍に就任すると、この地は将軍家の別邸となり「浜御殿」と改称され、大改修が行われました。

歴代将軍によって整備が重ねられ、特に11代将軍・家斉の時代には現在の庭園の姿がほぼ完成したと伝えられています。

明治時代 皇室所有となり外交の舞台となった「浜離宮」

明治維新を迎えると、浜御殿は皇室の所有となり、「浜離宮」と名前を変えました。

この名称の変更は、単なる所有者の交代を意味するだけでなく、庭園が日本の近代化を象徴する外交の舞台へと役割を変えたことを示しています。

宮内省の管轄となった浜離宮には、1869年に日本で初めてとなる本格的な石造りの洋館「延遼館」が建てられました。

日本の国際社会への扉を開くための重要な施設として、浜離宮は新たな歴史を歩み始めたのです。

明治12年 グラント米国前大統領の滞在と迎賓館「延遼館」

「延遼館」とは、遠方からの賓客を迎えるための館という意味を持つ、明治政府が建設した迎賓館です。

この延遼館が歴史の表舞台に登場する象徴的な出来事が、1879年に起こりました。

南北戦争を勝利に導いたアメリカの英雄、ユリシーズ・グラント前大統領夫妻が国賓として来日し、この延遼館に約2ヶ月間滞在したのです。

滞在中、グラント前大統領は明治天皇と会見するなど、延遼館は日米の親善を深める華やかな舞台となりました。

大正・昭和時代 関東大震災と東京大空襲からの復興

順風満帆に見えた浜離宮ですが、大正から昭和にかけて二度の大きな災害に見舞われる試練の時代を迎えます。

一度目は1923年に発生した関東大震災で、大手門やいくつかの御茶屋が倒壊・焼失するなどの被害を受けました。

そして二度目の悲劇は1944年の東京大空襲です。

この空襲により、明治時代の外交の象徴であった延遼館をはじめ、園内のほとんどの建物が灰燼に帰しました。

江戸時代から受け継がれてきた貴重な建造物の多くが失われ、庭園は大きな傷跡を負うことになります。

昭和21年 都立公園としての一般公開と「恩賜庭園」の由来

「恩賜庭園」とは、皇室から賜った庭園という意味を持ちます。

戦争で大きな被害を受けた浜離宮は、1945年11月3日に東京都へ下賜されることが決定しました。

これは、庭園が皇室のものではなく、広く国民のための公園として再生されることを意味します。

そして翌年の1946年4月1日、園内の整備を終え「浜離宮恩賜庭園」として有料で一般に公開が開始されました。

将軍家の別邸から皇室の離宮、そして都民の憩いの場へ。

幾多の困難を乗り越え、庭園は新たな歴史を刻み始めたのです。

歴史が息づく浜離宮恩賜庭園の見どころ5選

庭園を散策する上で、その歴史的背景を知ることで魅力が深まる見どころが5つあります。

特に、都内では唯一現存する「潮入の池」は、江戸時代の先進的な造園技術を体感できる最も重要な場所です。

それぞれの見どころが持つ歴史的な意味を知ることで、庭園の景色がより立体的に見えてきます。

これらの見どころは、浜離宮恩賜庭園が単なる美しい庭園ではなく、日本の歴史そのものを内包した文化遺産であることを物語っています。

潮の満ち引きで景観が変わる「潮入の池」

「潮入の池」とは、東京湾から海水を直接引き込み、潮の干満に応じて池の水位や景観が変化する仕組みを持つ池のことです。

この池は都内に現存する唯一のものであり、ボラやハゼといった海水魚が生息している点も、淡水の池が一般的な他の日本庭園にはない大きな特徴となります。

水門を通じて海と繋がることで、訪れる時間によって異なる風情を見せるこの池は、自然の力を巧みに取り入れた江戸時代の知恵の結晶と言えるでしょう。

江戸の風情を今に伝える復元された「中島の御茶屋」

「中島の御茶屋」は、潮入の池の中央に位置し、池の景色を一望できる絶好の休憩場所です。

現在の建物は、関東大震災や東京大空襲で焼失した後、1983年(昭和58年)に江戸時代の図面を基に忠実に復元されました。

お伝い橋で結ばれており、抹茶と和菓子を楽しみながら、かつて将軍たちが舟遊びを楽しんだ風景に思いを馳せられます。

水面に映る御茶屋の姿は、浜離宮恩賜庭園を象徴する美しい景観の一つとして、多くの人々に親しまれています。

庭園の歴史を見守る徳川家宣ゆかりの「三百年の松」

「三百年の松」は、6代将軍・徳川家宣が庭園を大改修した際に植えられたと伝えられる黒松です。

樹齢300年を超えるこの松は、都内最大級の大きさを誇ります。

その太い幹と低く張り出した枝ぶりは、約370年にわたる庭園の歴史をすべて見てきたかのような風格を感じさせます。

歴代将軍から現代の来園者まで、多くの人々を見守ってきたこの松は、浜離宮恩賜庭園のまさに生き証人と言える存在です。

将軍の鷹狩りを偲ばせる庚申堂と新銭座の二つの「鴨場」

「鴨場」とは、池に数本の引堀(細い水路)を設け、おとりのアヒルを使って鴨を誘い込み、鷹や網で捕獲するための施設です。

浜離宮恩賜庭園には、1778年に作られた庚申堂鴨場と1791年に作られた新銭座鴨場の2つが現在も残されており、これは全国的に見ても大変貴重な史跡となります。

もともと徳川将軍家の鷹狩り場であったこの土地の歴史を、今に色濃く伝える重要な遺構となっています。

季節ごとに表情を変える広大なお花畑

大手門を入ってすぐのエリアには、季節の移ろいを感じられる広大なお花畑が広がっています。

春には約30万本のナノハナが黄色い絨毯のように咲き誇り、秋には色とりどりのコスモスが風にそよぎます。

夏にはアジサイ、冬にはスイセンなど、一年を通じて様々な花が庭園を彩ります。

高層ビル群を背景に一面の花畑が広がる光景は、都会の喧騒を忘れさせてくれる、浜離宮恩賜庭園ならではの魅力的な風景です。

浜離宮恩賜庭園を訪れるための基本情報

浜離宮恩賜庭園の歴史散策を存分に楽しむためには、訪問前の計画が欠かせません。

開園時間やアクセス方法などを事前に確認しておくことで、当日はスムーズに庭園の魅力を満喫できます。

ご自身のスケジュールや興味に合わせて最適なプランを立て、江戸時代から続く庭園での特別な時間をお過ごしください。

開園時間と休園日

浜離宮恩賜庭園の開園時間は午前9時から午後5時までです。

最終入園は閉園の30分前、午後4時30分までなので、時間に余裕を持って訪れることをおすすめします。

年末年始の12月29日から1月1日は休園日となるため、訪問を計画する際は注意が必要です。

入園料の一覧

庭園の美しい景観を維持するため、入園料が設定されています。

料金は年齢などによって異なります。

小学生以下のお子様や、都内在住・在学の中学生は無料で入園できるため、ご家族での散策にも適しています。

目的別のアクセス方法

浜離宮恩賜庭園には主に2つの入口があり、利用する交通機関によって最寄りの入口が異なります。

この他に、浅草方面からは水上バスも運航しており、水上からの景色を楽しみながら庭園を訪れるユニークな方法もあります。

散策がもっと楽しくなる季節の花ごよみ

庭園は四季折々の花々で彩られ、訪れるたびに異なる表情を見せてくれます。

季節ごとの見どころを知っておくと、散策の楽しみが深まります。

特に2月下旬から咲き誇る約30万本のナノハナ畑は、高層ビル群との対比が美しい絶景です。

秋のコスモスもまた、多くの来園者の目を楽しませます。

まとめ

浜離宮恩賜庭園は、ただ美しいだけの場所ではありません。

徳川将軍家の鷹狩り場から始まり、将軍家の別邸、皇室の離宮、そして現在の都立公園へと姿を変えてきた、約370年もの日本の歴史を映す物語そのものです。

この記事では、その壮大な変遷と歴史的な見どころを詳しく解説しました。

この記事で紹介した歴史のポイントを心に留めて庭園を訪れると、一つ一つの風景がより深く、意味のあるものに感じられます。

ぜひ実際に足を運び、ご自身の目で370年の時の流れを体感してみてください。

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