MENU

なぜ中央区は小さい|その理由と日本橋・銀座などどんな街か3分で解説

「なぜ中央区はこんなに小さいの?」と感じたことはありませんか。

実はそのコンパクトな面積には、江戸時代から続く計画的な街づくりという歴史的な理由が隠されています。

この記事では、中央区が2つの区の合併によって生まれたことや、区域の大部分が埋め立てで造られたという歴史を紐解きます。

あわせて、日本の経済を動かす中心地としての役割や、日本橋・銀座・築地といったエリアごとの全く異なる魅力もわかりやすく解説します。

この記事でわかること

目次

面積は23区で2番目の小ささ、でも日本の中心である理由

中央区の面積は10.21k㎡しかなく、東京23区の中では台東区に次いで2番目に小さいです。

しかし、そのコンパクトなエリアに日本の経済や文化が凝縮されているのは、歴史的な成り立ちと計画的に造られた土地という背景があるからです。

このように、歴史的に重要な2つの区が合併し、計画的な埋め立てによって商業地として発展してきた背景が、中央区を小さくも強力な「日本の中心」たらしめているのです。

旧日本橋区と旧京橋区の合併という成り立ち

現在の中央区は、1947年3月15日に「日本橋区」と「京橋区」という2つの区が合併して誕生しました。

この2区はどちらも江戸時代から商業の中心として栄えてきた歴史あるエリアであり、合併後も東京の中心的な役割を担うことから「中央区」と名付けられたのです。

合併前の両区の面積を合わせても決して大きくはなかったため、結果として現在のコンパクトな区域が生まれました。

小さなエリアが一つになったという事実が、中央区の面積が小さい直接的な理由の一つになっています。

江戸時代から続く埋め立ての歴史

中央区の土地の大部分は、もともと海や湿地でした。

その多くは、江戸時代に行われた大規模な埋め立て事業によって人工的に造られた土地です。

例えば、徳川家康が江戸城を築く際に掘ったお堀の土砂を利用して日比谷入江を埋め立て、現在の銀座や築地といったエリアが形成されました。

区の面積の実に約9割が埋立地であるという事実は、この街が計画的につくられたことを物語っています。

商業活動のために意図して土地が造成された歴史が、現在の機能的な街並みの礎を築きました。

交通網と経済機能の圧倒的な集積

中央区が「日本の中心」と呼ばれる最大の理由は、交通の結節点としての役割と、そこに集まる経済機能の密度にあります。

区内にある日本橋は、江戸時代に定められた五街道の起点であり、現在も国道網の中心です。

JRや東京メトロなど15路線以上が区内を網羅し、都内どこへでもスムーズにアクセスできます。

この交通の利便性から、日本銀行や東京証券取引所、多くの大企業の本社が集中しているのです。

小さな面積にこれだけの交通インフラと経済の中枢機能が凝縮されていることが、中央区を単に「小さい区」ではなく、「日本の心臓部」たらしめています。

なぜコンパクトなのか、その歴史的背景

中央区がコンパクトな街である理由は、自然に形成されたのではなく、江戸時代から続く計画的な街づくりにあります。

日本の中心地として意図的に機能が集約された結果、現在の高密度な都市が生まれました。

五街道の起点として定められた日本橋

五街道とは、江戸時代に徳川幕府によって整備された、江戸の日本橋を起点とする5つの主要な陸上交通路のことです。

徳川家康は1603年に日本橋を架け、翌年には全国の道路網の起点と定めました。

この決定により、日本橋は全国から人・モノ・情報が集まる日本の出発点となり、周辺エリアが大きく発展する礎を築いたのです。

この交通の要衝としての役割が、中央区が日本の中心として発展する最初の大きな一歩となりました。

商業・金融の中心地としての発展の歴史

五街道の起点となった日本橋には、全国から有力な商人が集まり、商業の中心地として栄えました。

特に、1673年創業の呉服店「越後屋」(現在の三越)は、「現金掛け値なし」という革新的な商法で人気を博し、周辺の商業活動を活気づけました。

明治時代に入ると、1873年に第一国立銀行(現在のみずほ銀行)、1878年に東京株式取引所(現在の東京証券取引所)が設立され、商業に加えて金融の中心地としての地位も確立します。

江戸から続く商業の集積が、近代日本の経済を牽引する役割へと発展したのです。

この歴史の積み重ねが、現在も日本を代表するビジネス街としての中央区を形作っています。

人の手によって計画的に造られた街

中央区の土地は、その大部分が「埋め立て」によって人工的に造成されたものです。

自然の地形に街ができたのではなく、明確な目的を持って土地そのものが造られました。

徳川家康は江戸城を築く際、掘り出した土砂を使って日比谷の入り江などを埋め立て、商業地や住宅地を計画的に拡大していきました。

現在の中央区の面積の約9割が、この江戸時代以降の埋め立てによって生まれた土地です。

中央区がコンパクトでありながら高い機能性を持つ理由は、商業活動を効率的に行うためにデザインされた、計画都市としての成り立ちにあります。

エリアごとに異なる顔を持つ中央区の魅力

中央区の最大の魅力は、コンパクトな区内に歴史、文化、商業、そして未来的な都市景観といった、全く異なる個性を持つエリアが凝縮されている点です。

それぞれの街を歩けば、まるで違う国を旅しているかのような多彩な発見があります。

これらのエリアは隣接していながら、それぞれが独自の文化と雰囲気を築いています。

この多様性こそが、中央区が多くの人々を惹きつけてやまない理由なのです。

金融と伝統が息づく街、日本橋

日本橋は、日本銀行本店や東京証券取引所などが集まる、まさに日本の金融・経済を動かす中心地です。

江戸時代に五街道の起点として定められ、古くから人・モノ・情報が集まる場所として栄えてきました。

その歴史は現代にも受け継がれており、日本橋三越本店や山本海苔店といった創業100年を超える老舗が今なお営業を続けています。

一方で、コレド室町のような新しい商業施設も次々と誕生し、伝統と革新が美しく融合した街並みを形成しています。

歴史の重みと現代の活気が同居する、知的な散策が楽しめるエリアです。

世界有数の高級商業地、銀座

銀座は、世界的な高級ブランドの旗艦店や老舗百貨店、高級レストランが軒を連ねる、日本を代表するショッピングストリートです。

洗練された街並みは、歩いているだけでも特別な高揚感を与えてくれます。

中央通りは週末になると歩行者天国となり、国内外から訪れる多くの買い物客で賑わいを見せます。

銀座の土地は、路線価において長年日本一の場所として知られており、その価値が街のステータスを物語っています。

銀座は単なる買い物だけでなく、画廊や歌舞伎座などを通じて最先端のアートや伝統文化に触れられる、大人のための街といえます。

日本の台所として賑わう、築地

築地は、2018年に中央卸売市場が豊洲へ移転した後も、「築地場外市場」が食のプロと一般客で賑わう活気ある場所です。

新鮮な魚介類はもちろん、青果、精肉、乾物など、あらゆる食材を扱う専門店がひしめき合っています。

場外市場には約400もの店舗が軒を連ねており、威勢の良い掛け声が飛び交う中での買い物や食べ歩きが楽しめます。

寿司や海鮮丼を提供する飲食店も多く、朝から新鮮な海の幸を求めて長い行列ができることも珍しくありません。

日本の豊かな食文化を肌で感じられる、エネルギッシュな魅力にあふれた街です。

下町情緒と未来が共存する、月島・勝どき・晴海

月島・勝どき・晴海エリアは、昔ながらの日本の風景と、湾岸の新しい都市景観という二つの顔を併せ持つユニークなエリアです。

路地裏に風情が残る月島と、タワーマンションが林立する勝どき・晴海は、橋を一本渡るだけで全く異なる世界が広がります。

月島西仲通り商店街、通称「もんじゃストリート」には70店舗以上のもんじゃ焼き店が集まり、下町情緒あふれる雰囲気を楽しめます。

その一方で、晴海エリアでは東京2020オリンピック・パラリンピック選手村跡地の再開発「晴海フラッグ」によって新しい街が誕生しました。

古き良きコミュニティと未来の暮らしが隣り合う、東京の今を象徴する場所です。

データで見る中央区のすがたと暮らし

中央区の特性を理解するには、各種データを他の区と比較することが近道です。

特に注目すべきは、居住者数を示す夜間人口に対して、日中に区内で活動する人の数を示す昼間人口が突出して多い点にあります。

都心3区と呼ばれる千代田区・中央区・港区の基本データを比較すると、中央区の姿がより鮮明になります。

※人口は令和2年国勢調査に基づく概数

この表から、中央区は面積が小さいにもかかわらず、昼間には夜間人口の4倍以上もの人々が集まる、非常に密度の高いビジネスと商業の拠点であることがわかります。

昼間人口は夜間人口の約4倍

「昼間人口」とは、区内に通勤・通学してくる人と区の居住者を合わせた人口のことで、「夜間人口」は区に住んでいる常住人口を指します。

中央区がビジネスや商業活動の中心地であることは、この昼間人口と夜間人口の差に明確に表れています。

令和2年の国勢調査によると、中央区の夜間人口は約17万人ですが、昼間人口は約69万⼈にも達します。

この約52万人もの差は、日本橋や銀座、京橋といったエリアに本社を置く企業や数多くの商業施設へ、区外から毎日多くの人々が働きに来たり、買い物を楽しみに訪れたりすることで生まれるものです。

この圧倒的な人の流れが、中央区の経済的な活力を生み出す源泉となっています。

他の都心区との面積や人口の比較

中央区の面積は10.21k㎡で、東京23区の中では台東区(10.11k㎡)に次いで2番目に小さい区です。

これは、都心3区の千代田区(11.66k㎡)や港区(20.37k㎡)と比較しても非常にコンパクトな大きさといえます。

この小さな区画の中に、約17万人(2024年時点では約18万人に増加)もの人々が暮らしています。

特に月島・勝どき・晴海といった湾岸エリアではタワーマンションの建設が進み、人口が急増しました。

2000年には約7万人だった夜間人口が、20年余りで2.5倍以上になっている事実は、中央区がビジネスの街であると同時に、居住地としても選ばれていることを示しています。

面積は小さくとも、ビジネス、商業、そして居住の機能が凝縮された、密度の高い街であることが中央区の大きな特徴です。

区内を網羅する優れた交通アクセス

中央区の発展を支えているのは、区内を縦横無尽に走る鉄道網です。

JRや東京メトロ、都営地下鉄を合わせると10を超える路線が利用でき、都内のあらゆる場所へスムーズに移動できます。

区内には40以上の駅が点在しており、どこにいても最寄り駅まで歩いて行けるほどの利便性を誇ります。

特に、日本の鉄道交通の起点である東京駅(八重洲口側)や、3路線が交差する銀座駅、日本橋駅は、日々多くの乗降客で賑わっています。

この交通アクセスの良さが、多くの企業や商業施設を中央区に引き寄せ、昼間人口の集中を生み出す大きな要因となっています。

コンパクトシティとしての住みやすさ

「コンパクトシティ」とは、生活に必要な機能が都市の中心部に集約され、人々が効率的に暮らせる街を指します。

中央区は、まさにこの職住近接を実現できる環境が整っている街です。

ビジネスや商業のイメージが強い中央区ですが、近年は湾岸エリアの再開発によって居住地としての魅力も大きく向上しています。

例えば、晴海エリアでは東京2020オリンピック・パラリンピックの選手村跡地開発「HARUMI FLAG」が街開きし、2024年には大型商業施設「ららテラス HARUMI FLAG」が開業するなど、子育て世代も暮らしやすい環境が整備されました。

銀座や日本橋で最先端の文化やショッピングを楽しみ、少し歩けば浜町公園や隅田川テラスのような水と緑の潤いにも触れられます。

都心でありながら、多様なライフスタイルに応える暮らしやすさを兼ね備えている点も中央区の大きな魅力です。

まとめ

この記事では、中央区が23区の中でも特に面積が小さい理由と、そのコンパクトなエリアに秘められた多様な魅力について解説しました。

面積が小さい背景には、江戸時代からの埋め立ての歴史や、旧日本橋区と旧京橋区の合併という成り立ちがあります。

しかし、その小さな区画には日本の経済を動かす中心機能と、エリアごとに全く異なる街の個性が凝縮されています。

この記事で中央区の全体像を理解したら、次はぜひ実際に街を歩いてみてください。

歴史が息づく路地や最新の商業施設など、エリアごとの違いを肌で感じることで、さらに深い発見が待っています。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次