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文豪の足跡を辿る本郷台地の坂道散歩|東大周辺2時間半モデルコース

いつもの散歩では物足りない、もっと知的な発見が欲しいと感じていませんか。

本郷の坂道散歩は、歩くたびに文豪たちの息遣いや江戸から続く歴史に触れられる特別な体験ができます。

この記事では、東京大学周辺を2時間半で巡るモデルコースをご紹介します。

樋口一葉や森鷗外ゆかりの名坂から、地形の面白さを体感できる高低差のある道、歴史的建造物まで、あなたの知的好奇心を刺激する情報が満載です。

目次

文豪が愛した街、本郷台地の三つの魅力

なぜ多くの文化人がこの地に惹かれたのか、その答えは文学・地形・歴史という三つの魅力が重なり合っている点にあります。

それぞれの魅力が、ただの散歩を時空を超えた物語を巡る旅へと変えてくれるのです。

ここでは、その魅力を一つずつ紐解いていきましょう。

文豪たちの息遣いが残る文学の舞台

本郷は、明治の文豪たちが暮らし、創作活動を行った文学の聖地です。

森鷗外の旧居「観潮楼」跡、樋口一葉が作品の舞台とした菊坂、石川啄木が下宿した蓋平館別荘跡など、半径わずか1.5km圏内にゆかりの地が密集しています。

彼らがインスピレーションを受けた坂道を歩けば、作品の行間に流れる空気感を肌で感じ取れます。

高低差が創り出す東京の地形の面白さ

本郷台地は、武蔵野台地の東端に位置し、複雑な谷が刻まれた起伏に富んだ地形が特徴です。

「東京スリバチ」とも呼ばれるこのエリアには名前のついた坂道だけでも20以上存在し、最大高低差は約20メートルにも及びます。

坂を上り下りするたびに景色が変わり、江戸時代から続く街の骨格を足元から感じられるのが、このエリアを歩く醍醐味です。

明治の面影を残す歴史的な街並み

本郷の魅力は文学だけではありません。

明治時代から続く歴史的な建造物と風情ある街並みが今なお大切に残されています。

国の重要文化財である東京大学の赤門や、ジョサイア・コンドルが設計した旧岩崎邸庭園など、100年以上前の建築美に触れることができます。

石畳の路地や昔ながらの木造家屋が点在する風景は、まるで時代を遡ったかのような感覚をもたらし、散策の時間を豊かなものにします。

文豪の足跡を辿る、東大周辺2時間半の散策モデルコース

歴史と文学の香りに包まれる、約2時間半の散策へ出かけましょう。

このコースでは、本郷台地の高低差を体感しながら、文豪たちが愛した坂道や知の殿堂を巡ります。

歩きやすい靴を用意して、物語の世界に足を踏み入れる準備をしてください。

このモデルコースを歩けば、普段見過ごしてしまう東京の風景の中に、幾層にも重なる歴史と物語が息づいていることに気づきます。

スタートは本郷三丁目駅から

散策の始まりは、東京メトロ丸ノ内線と都営大江戸線が乗り入れる本郷三丁目駅です。

地上に出るとすぐに、学生街ならではの活気と落ち着きが混在した空気が迎えてくれます。

ここから日本の知性が集まる東京大学へと向かう本郷通りを歩き始めます。

知の殿堂、東京大学の赤門とキャンパス

本郷通りを歩いていくと、まず目に飛び込んでくるのが国の重要文化財である赤門(旧加賀藩屋敷御守殿門)です。

この門をくぐれば、そこは日本の最高学府である東京大学のキャンパスが広がります。

約30分かけて、ゴシック様式が美しい安田講堂や、夏目漱石の小説『三四郎』の舞台にもなった三四郎池などを巡り、アカデミックな雰囲気を満喫しましょう。

樋口一葉ゆかりの菊坂界隈

東京大学の裏手に位置する菊坂は、文豪・樋口一葉が暮らし、名作『たけくらべ』を執筆した場所として知られています。

緩やかに続く坂道の途中には、彼女が通ったとされる旧伊勢屋質店の跡地も残っています。

当時の生活に思いを馳せながら、趣のある路地をゆっくりと歩いてみてください。

文京区を代表する胸突坂と炭団坂

菊坂周辺には、本郷台地の地形を体感できる個性的な坂が集まっています。

中でも「胸突坂」は、その名の通り胸を突くような急勾配が特徴です。

一方、「炭団坂」は、かつて炭団を商う店があった、あるいは炭団を運ぶ人が転げ落ちたなど、名前の由来に諸説ある趣深い坂です。

二つの坂を歩き比べることで、江戸の坂道が持つ歴史の面白さを感じられます。

石川啄木が歌を詠んだ鐙坂

閑静な住宅街に佇む「鐙坂」は、若き天才歌人・石川啄木がその生涯を閉じたゆかりの地です。

坂の近くには、彼が下宿していた「喜之床」の跡地を示す案内板や、「かにかくに 渋民村は 恋しかり」で始まる有名な歌を刻んだ歌碑が建てられています。

文学ファンの心に深く響く、静かで特別な時間が流れる場所です。

見送り坂から弥生坂を抜けゴールへ

散策もいよいよ終盤です。

かつて刑場へ向かう罪人を見送ったという説が残る「見送り坂」を通り、ゴール地点の根津を目指します。

その途中にある「弥生坂」は、日本の歴史を大きく変える発見があった弥生式土器発掘の地として知られています。

次々と現れる歴史の舞台に、最後まで知的好奇心を刺激される道のりです。

ゴールは下町情緒あふれる根津エリア

約2時間半の散策のゴールは、谷根千の一角をなす下町情緒豊かな根津エリアです。

歩き疲れた身体を、根津神社の緑豊かな境内で休ませたり、昔ながらの喫茶店で一息ついたりするのもおすすめです。

歴史と文学の世界から、温かい日常の風景へと戻ってくる、そんな心地よい余韻に浸りながら散策を締めくくります。

物語が生まれる本郷の名坂巡り

本郷台地の坂道は、それぞれが個性的な名前と物語を持っています。

単なる通り道ではなく、文豪たちが日々歩き、思索を深めた創作の舞台そのものなのです。

ここでは、散策コースの中でも特に物語性に富んだ6つの名坂をご紹介します。

これらの坂を巡ることで、足元から本郷の歴史と文化の深さを感じ取れます。

さあ、一歩ずつ物語の世界へと足を踏み入れていきましょう。

樋口一葉『たけくらべ』の世界が広がる菊坂

かつて菊畑が広がっていたことからその名がついた菊坂は、何よりも樋口一葉の作品世界と強く結びついています。

彼女が人生の最後を過ごした場所であり、不朽の名作『たけくらべ』が生まれた原風景がここに広がっています。

一葉はわずか24年6ヶ月の短い生涯で9回も転居を繰り返しましたが、そのうち3回はこの菊坂周辺でした。

貧困に苦しみながらも筆を執り続けた彼女の息遣いが、今もこの坂道には残っているようです。

緩やかに続く坂道を歩いていると、作品の登場人物たちが今にも路地裏から現れそうな錯覚に陥ります。

名前の通り息が切れるほどの急勾配、胸突坂

胸突坂(むなつきざか)は、文字通り「胸を突くように急な坂」であることから名付けられました。

その名の通り、一気に駆け上がるには覚悟がいるほどの急勾配をぜひ体感してみてください。

この坂は湯島天満宮の東側に位置しており、別名「男坂」とも呼ばれます。

40段近い急な石段が目の前に現れると、思わず圧倒されることでしょう。

一段一段踏みしめて坂を登りきったときには、心地よい達成感とともに、江戸時代から変わらぬ坂の力強さを感じられます。

炭団商人が滑り落ちた逸話が残る炭団坂

炭団坂(たどんざか)という趣のある名前は、雨の日に炭団(炭の粉を丸めて固めた燃料)を売る商人が転び、坂が真っ黒になったという逸話に由来します。

江戸の庶民の暮らしぶりが目に浮かぶようなユニークなエピソードが、この坂の魅力です。

長さ約80メートル、高低差約9メートルの短い坂ですが、急な勾配と風情ある石畳が印象に残ります。

文京区の「歴史と文化の散歩道」にも選ばれています。

坂の途中でふと立ち止まり、かつての江戸の賑わいに思いを馳せながら歩くのも一興です。

森鷗外の旧居跡「観潮楼」へと続く鐙坂

なだらかなカーブを描く鐙坂(あぶみざか)は、その形が馬具の鐙に似ていることから名付けられました。

この坂は、文豪・森鷗外の生活と創作活動に深く関わる重要な場所です。

鷗外はドイツ留学から帰国後の1892年から亡くなるまでの約30年間、この坂の上にあった「観潮楼」という自宅で過ごしました。

彼の多くの名作がここで生み出されたのです。

静かな住宅街に佇むこの坂道は、鷗外や啄木といった文豪たちが創作の合間に散策したであろう、思索の道でもあります。

刑場へ向かう罪人を見送ったとされる見送り坂

穏やかな雰囲気が漂う見送り坂(みおくりざか)には、少し物悲しい歴史が秘められています。

かつてこの近くにあった刑場へ向かう罪人を、家族が涙ながらに別れを告げた場所であったことから、この名前がついたと言われています。

現在は西片の閑静な住宅街の一部ですが、江戸時代の地図にもその名が記されているほど古くから存在する坂です。

その歴史を知って歩くと、穏やかな景色がまた違った深みを持って見えてきます。

坂の名に込められた人々の複雑な思いに心を寄せながら、静かにこの場所を通り過ぎるのも、歴史散策の醍醐味です。

弥生式土器発掘の地に由来する弥生坂

弥生坂(やよいざか)は、日本の歴史教育において誰もが耳にする「弥生式土器」の名前の由来となった場所です。

1884年、この坂の近くで発見された土器が、考古学上の新たな時代を定義するきっかけとなりました。

東京大学の浅野キャンパスに沿って続く長さ約250メートルの坂道は、広く、なだらかで非常に歩きやすいです。

坂の途中には「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑が静かに佇んでいます。

近代文学の足跡を辿る散歩が、時を超えて日本の古代史へと繋がる。

本郷という土地が持つ、歴史の重層性を実感できる坂道です。

散策の合間に訪れたい、周辺のおすすめスポット

本郷台地での坂道散策は、周辺に点在する文化施設を訪れることで、さらに味わい深いものになります。

ただ歩くだけでなく、歴史的建造物や文学、美術に触れる時間を持つことが、散策の満足度を高める鍵です。

ここでは、散策の途中にぜひ立ち寄りたいおすすめのスポットを5つ紹介します。

それぞれのスポットが持つ独自の魅力に触れることで、文豪たちが生きた時代の空気感をより立体的に感じられます。

あなたの興味に合わせて、散策コースに組み込んでみてください。

明治の洋館建築が美しい旧岩崎邸庭園

旧岩崎邸庭園は、三菱財閥の三代目当主である岩崎久彌の本邸として建てられた歴史的な場所です。

明治29年(1896年)に完成したこの邸宅は、鹿鳴館などを手掛けたイギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計によるもので、現存する洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)の3棟を見学できます。

特に、17世紀の英国ジャコビアン様式を基調とした洋館は、当時の華やかな暮らしぶりを今に伝えています。

散策の途中で壮麗な洋館建築に触れることで、明治という時代の息吹を肌で感じられる貴重な体験になります。

文豪気分で一息つけるレトロな喫茶店

本郷には、時が止まったかのような趣のある喫茶店が今もなお点在しています。

坂道を歩いて少し疲れたら、こうした喫茶店で一息つくのも散策の醍醐味です。

例えば、クラシック音楽が流れる「名曲・珈琲 麦」や、金魚が泳ぐ池を眺めながらお茶が楽しめる「金魚坂」など、個性豊かな店が30軒以上も営業しています。

静かな空間でコーヒーを味わいながら、購入した古書を読んだり、散策の思い出を振り返ったりする時間は、特別なものになるはずです。

森鷗外の生涯に触れる文京区立森鷗外記念館

文京区立森鷗外記念館は、文豪・森鷗外が旧居「観潮楼」を構え、後半生を過ごした跡地に建てられた記念施設です。

鷗外はここで『雁』や『澀江抽齋』などの代表作を執筆し、亡くなるまでの約30年間を過ごしました。

館内には、直筆の原稿や愛用していた机、遺品などが展示されており、彼の作家として、また軍医としての生涯を深く知ることができます。

散策コースに含まれる鐙坂は、観潮楼へ続く坂でした。

記念館と合わせて訪れることで、鷗外の作品世界への理解がより一層深まります。

掘り出し物が見つかるかもしれない古書店

東京大学のお膝元である本郷は、知の集積地として古くから多くの古書店が軒を連ねる街です。

専門的な学術書から、今は絶版となった貴重な文学作品まで、さまざまな本が並びます。

例えば、ドイツ文学の専門書店として知られる「郁文堂書店」や、幅広いジャンルを扱う「大山堂書店」など、数十軒の古書店が点在しており、本好きにはたまらないエリアです。

どの店でどんな本に出会えるかは、その時次第です。

一冊の本との偶然の出会いが、この散策を忘れられない思い出にしてくれます。

竹久夢二の世界観に浸る竹久夢二美術館

竹久夢二美術館は、「大正の浮世絵師」とも呼ばれた画家・竹久夢二の作品を専門に所蔵する美術館です。

愁いを帯びた表情の美人画「夢二式美人」で知られる彼の作品は、どこか切なく、叙情的な魅力にあふれています。

この美術館には、日本画や油彩画、デザイン作品など約3,300点のコレクションがあり、年に4回展示替えが行われるため、訪れるたびに新たな発見があります。

弥生坂の近くに位置するため、散策のゴール地点である根津エリアで立ち寄るのに最適です。

文豪たちの生きた明治時代とは少し異なる、大正ロマンの甘美な世界に浸ってみるのも良いでしょう。

まとめ

本郷の坂道散歩は、歩くたびに文豪たちの息遣いや江戸から続く歴史に触れられる特別な体験ができます。

この記事では、文学、地形、歴史の魅力が詰まった、東京大学周辺を2時間半で巡るモデルコースを紹介しました。

この記事のモデルコースを参考に、あなたも文豪が見た風景を探す散歩に出かけてみてください。

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