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東京の丘がつく地名の由来と歴史|散歩が楽しくなる武蔵野台地の謎5選

「自由が丘」や「代官山」など、東京の街を歩いていると「丘」がつく地名が多いと感じませんか。

その理由は、東京の大部分が「武蔵野台地」という大きな台地の上にあるからです。

この記事では、東京の地形がどのように作られたのかという秘密から、自由が丘や代官山といった身近な地名の歴史的な由来、そして普段の散歩がもっと楽しくなる地図の活用術まで、わかりやすく解説します。

目次

東京に「丘」が多い理由と武蔵野台地の秘密

東京の街を歩いていると、「自由が丘」や「代官山」など、「丘」や「山」「台」がつく地名が多いことに気づきます。

その理由は、東京の地形が武蔵野台地という大きな台地の上にあるからです。

この台地がどのようにして作られ、なぜたくさんの丘を生み出したのか、その秘密を解き明かしていきます。

東京の地形の土台である武蔵野台地

東京の地形の骨格となっているのが「武蔵野台地」です。

これは、大昔に多摩川が西から東へ向かって土砂を運び、扇のように積み重ねて形成された広大な台地を指します。

この台地は西の青梅市付近を頂点として、東の東京湾に向かって緩やかに傾斜しており、その面積は約600平方キロメートルにも及びます。

私たちが普段歩いている東京23区の西側、いわゆる山手線内側の西半分から多摩地域にかけての土地は、この巨大な台地の一部なのです。

川の浸食作用が生んだ谷と台地の風景

平らな台地だった武蔵野台地に、現在のようなくねくねとした谷と丘の風景を生み出したのは、川の「浸食作用」です。

これは、川の流れが長い時間をかけて地面を削り取っていく働きのことです。

多摩川によって作られた台地の上を、神田川や目黒川、渋谷川といった中小の河川が流れ、大地を深く削り込んでいきました。

その結果、深い谷がいくつも刻まれ、削り残された台地の縁が丘のように見える、数十メートルの高低差を持つ複雑な地形が生まれたのです。

火山灰が積み重なった関東ローム層

武蔵野台地の表面を覆っている赤土の層は、「関東ローム層」と呼ばれます。

これは、富士山や箱根、浅間山といった火山が噴火した際に飛んできた火山灰が、何万年もかけて降り積もってできた地層です。

この関東ローム層は、場所によっては厚さが10メートル以上にも達します。

粒子が細かく柔らかい性質を持っているため、川による浸食を受けやすく、東京の起伏に富んだ地形が作られる一因となりました。

坂道を歩いているときに見える赤土の崖は、まさにこの関東ローム層の断面です。

江戸時代から続く地形と地名の関係

江戸時代、徳川家康が江戸城を築いた場所は武蔵野台地の東の端でした。

当時の人々は、この高低差のある地形を巧みに利用して街づくりを進め、見晴らしの良い高台には大名屋敷、水便の良い低地には町人の住まいや商業地が発展しました。

「番町」や「駿河台」のような高台の地名は武家屋敷に由来するものが多く、「日本橋」や「京橋」といった低地の地名は町人文化の中心地として栄えました。

このように江戸時代に形成された地形と身分による住み分けが、現代の東京の地名にも色濃くその名残を留めているのです。

散歩が楽しくなる東京の丘の地名由来5選

それぞれの「丘」が持つ歴史の物語を知ることは、いつもの街並みをまったく新しい風景に変えてくれます

ここからは、散歩がもっと味わい深くなる代表的な5つの丘について、その地名の由来と現在の街の空気を紹介します。

どの丘にも、地形だけでなく人々の暮らしが刻んだユニークな歴史があります。

自由が丘-文化の薫りが漂う学び舎の丘

「自由が丘」という地名は、1927年に創立された「自由ヶ丘学園」という学校に由来します

比較的新しい地名ですが、その名の通り自由で文化的な雰囲気が街の魅力になりました。

駅前に降り立つと、洗練された雑貨店やおしゃれなカフェが迎えてくれます。

一方で一歩路地に入れば落ち着いた住宅街が広がり、新しいものと古き良き暮らしが心地よく共存する空気を感じとれます。

ゆったりとした時間が流れるこの街は、散策にぴったりの場所です。

代官山-武家屋敷の面影を留める静かな丘

渋谷の喧騒から少し離れた高台にある代官山は、その名の通り江戸時代に幕府の代官屋敷があったという説が有名です。

このエリア一帯が代官の所有する山だったともいわれています。

現在では、ハイセンスなブティックや大使館が点在し、都会的でありながら落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

ゆっくりと坂道を歩くと、かつてこの場所が武家地であった頃の静けさや気品が、今もなお感じられます。

歴史の面影を探しながらの散歩が楽しいエリアです。

桜丘-かつての桜並木に由来する安らぎの丘

世田谷区にある桜丘は、その名の通り、かつてこの土地にあった美しい桜並木に由来します

地域にあった「桜木」が有名だったことから、この地名がつけられたと伝わっています。

現在も閑静な住宅街として知られ、春になると見事な桜が咲き誇り、地名の由来を実感させてくれます

派手さはありませんが、穏やかな日常の風景が広がるこの場所は、ゆっくりと考え事をしながら歩くのにふさわしいです。

季節の移ろいを感じながら、心安らぐ散策ができます。

愛宕山-江戸の街を見守ってきた都心の最高峰

港区にある愛宕山は、東京23区内で最も標高が高い天然の山です。

徳川家康が江戸の防火の神様として愛宕神社を祀ったことから、この地の歴史は始まりました。

江戸時代には、ここから江戸の町並みや東京湾を一望できたといわれます。

今では高層ビルに囲まれていますが、急勾配の「出世の石段」を登りきると、都心とは思えないほど静かで緑豊かな空間が広がっています。

ビル群の隙間から、かつての人々が見たであろう景色に思いを馳せる散歩ができます。

駿河台-徳川家康の家臣団が暮らした歴史の丘

神田駿河台の地名は、徳川家康と深い関わりがあります。

家康が江戸に入府した際、故郷の駿河国から連れてきた家臣団をこの高台に住まわせたことから、「駿河台」と呼ばれるようになりました。

明治時代以降は日本大学や明治大学などがキャンパスを構える学生街として発展し、知的な雰囲気が漂います。

歴史あるニコライ堂の鐘の音を聞きながら古書店街を巡れば、知的な探求心が満たされる散歩が楽しめます。

アカデミックな空気と歴史が混ざり合う、魅力的な場所です。

地名の由来を知っていつもの東京散歩を小さな探検に

これまで見てきたように、東京の地名は地形や歴史と深く結びついています。

その物語を体感するために、スマートフォンひとつでできる小さな探検に出かけてみませんか。

ここでは、いつもの散歩を何倍も面白くする3つの方法を紹介します。

高低差がわかる地図アプリの活用

普段何気なく歩いている道も、地図を切り替えれば全く違う風景が見えてきます。

高低差がわかる地図とは、土地の起伏を色や陰影で視覚的に表現した地図のことです。

これを使えば、自分が今、台地の上にいるのか、それとも谷底を歩いているのかが一目でわかります。

例えば、国土地理院が提供する「地理院地図Vector」や、無料でも使える「スーパー地形」といったアプリが便利です。

普段利用している「Googleマップ」でも、地図のレイヤーを「地形」に切り替えるだけで、等高線が表示され、土地の起伏を簡単に確認できます

自由が丘がなだらかな坂の上にあることや、渋谷駅が谷の底に位置することが、地図上からくっきりと浮かび上がります。

古地図と比較して見つける街の変遷

次に試してほしいのが、古地図アプリとの比較です。

おすすめは、江戸時代の地図と現在の地図をGPSで連動させて表示できる「大江戸今昔めぐり」です。

古地図とは、昔の土地利用や道筋、大名屋敷の配置などがわかる貴重な資料です。

このアプリを使えば、現在地が江戸時代には誰の屋敷だったのか、あるいは畑や寺社だったのかが瞬時にわかります。

例えば、駿河台の大学キャンパスが、江戸時代には広大な武家屋敷だったことを地図上で確認しながら歩くと、時間の流れを肌で感じられます

今は暗渠になっている川の跡や、消えてしまった道筋を発見するのも、古地図散歩ならではの楽しみ方です。

坂道や段丘崖に隠された地形の物語

最後に、自分の足と目で地形そのものを感じてみましょう。

注目すべきは「坂道」と「段丘崖(だんきゅうがい)」です。

段丘崖とは、武蔵野台地の縁にあたる急な崖線のことで、東京の地形を特徴づける重要な要素です。

東京には「くらやみ坂」や「幽霊坂」など名前の面白い坂が数多くあり、その由来を記した標柱を探して歩くだけで、まるで宝探しのようです

また、代官山や愛宕山のように、段丘崖の上と下では街の雰囲気が全く異なる場所も少なくありません。

足元の地形に少し注意を向けるだけで、東京が川によって削られてできた立体的な都市であることを実感でき、散歩はより一層深みを増します。

まとめ

この記事では、東京に「丘」がつく地名が多い理由を、東京の地形の土台である武蔵野台地の成り立ちからわかりやすく解説します。

自由が丘や代官山といった身近な地名の由来を知ることで、いつもの街の景色が少し違って見える内容です。

さあ、次はあなたがスマートフォンを片手に、身近な丘に隠された物語を探す散歩に出かけてみませんか。

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